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新潟地方裁判所長岡支部 平成12年(ワ)43号 判決 2000年8月10日

原告 新潟県信用農業協同組合連合会

右代表者代表理事 A

右訴訟代理人弁護士 村山六郎

右同 野口祐郁

被告 株式会社フォルクス

右代表者代表取締役 B

右同 増田正美

右訴訟代理人弁護士 伊藤尚

右同 大月雅博

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求

被告は、原告に対し、五七〇万円を支払え。

第二事案の概要

一  本件は、別紙物件目録<省略>の建物(以下「本件建物」という。)について所有者から根抵当権の設定を受けている原告が、本件建物の賃借人である被告に対して抵当権に基づく物上代位権の行使として賃借料の差押命令を受け取立権を取得したにもかかわらず被告が取立てに応じないとして、未払いの四ヶ月分合計五七〇万円の賃料支払いを被告に求めている事案である。

二  以下の事実については、当事者間に争いがないか、または、以下摘示する証拠若しくは弁論の全趣旨により明らかに認めることができる。

1  原告は本件建物に別紙抵当権目録<省略>の根抵当権設定登記を経由している根抵当権者である。

2  右根抵当権設定者である株式会社a(以下「a社」という。)は、平成一二年一月一七日に当庁(新潟地方裁判所長岡支部)において破産宣告を受けた(以下破産宣告後のa社を「破産会社」という。)。

3  原告は、平成一二年一月二七日、当庁において、抵当権に基づく物上代位権の行使により、破産会社が被告に対して有する別紙差押債権目録<省略>の賃料債権(以下「本件賃料債権」という。)につき債権差押命令(以下「本件差押命令」という。)を得た。

4  本件差押命令は、平成一二年一月二九日に被告に、同年二月二日に破産会社に、それぞれ送達され、破産会社への送達から一週間後の同年二月九日の経過により原告は本件賃料債権について取立権を取得した。

5  平成一二年四月末日の経過により、本件賃料債権の内同年二月分から五月分までの四ヶ月分合計五七〇万円につき履行期が経過した。

6  被告はa社との間で、平成四年七月二九日、本件不動産について、左記のとおりの賃貸借契約を締結した(以下「本件賃貸借契約」という。)。右契約の内本件訴訟に関連のある契約条項は以下のとおりである(乙一の一)。

(一) 賃料 月額一五〇万円

ただし、平成一二年一月分から月額一四二万五〇〇〇円に改訂された(乙一の二)。

(二) 賃料の支払方法

毎月末日までに翌月分をa社の指定する銀行口座に振り込んで支払う。

(三) 敷金 二〇〇〇万円

(四) 保証金 一億〇七〇〇万円

右保証金は、被告が本件建物を利用したレストランを開店した日(平成四年一一月二〇日)から起算して一〇年間据え置き、一一年目の年の末日(一二月三一日)を第一回として以後一〇年間にわたり均等分割して年賦返還するものとし、保証金返還債務は無利息とする。

ただし、a社について破産等の申立てがあった時は、a社は被告より通知・催告等の手続を要さず保証金について有する右期限の利益を失い、保証金の残額を直ちに完済するものとする。

7  被告は、a社に対して、本件賃貸借契約に基づき、右敷金及び保証金を差し入れて(乙二の一ないし四)、その後、a社から本件賃貸借契約に基づいて本件建物を借り受け現在に至っている(弁論の全趣旨)。

8  被告は、a社に対して、本件賃貸借契約に基づき、前記賃料を平成一二年一月分まで滞ることなく支払を続けた。最終支払期日は同一一年一二月三〇日である(乙三)。

9  前記のとおり、平成一二年一月一七日、a社は破産宣告を受けたことから、a社ひいては破産会社は前記保証金返還債務につき期限の利益を喪失した。

10  被告は、a社に対し、前記一億〇七〇〇万円の保証金(以下「本件保証金」という。)返還請求権と本件賃貸借契約に基づく平成一二年二月分(支払期同年一月末日)以降の賃料につき、右一億〇七〇〇万円に満つるまで賃料弁済期の到来する毎に対当額で相殺する旨の意思表示をし、右通知は平成一二年一月二九日、破産会社の破産管財人のもとに到達した(乙四の一ないし三)。

三  原告の主張

原告は被告に対して本件賃料債権の取立権を有するものであるから、本件賃料債権の内履行期の経過している平成一二年二月分から同年五月分までの賃料合計五七〇万円につき支払いを求める。

四  被告の主張

(抗弁1-保証金返還請求権による相殺)

1  平成一二年二月分及び三月分の賃料について

(一) 破産法一〇三条一項前段は、破産債権者は破産宣告時における当期及び次期の借賃につき相殺をなすことができると規定している。

(二) 被告は、前記のとおり、平成一二年一月二九日に賃貸人に到達した相殺通知により、破産宣告時の当期及び次期の借賃に当たる平成一二年二月分及び三月分の賃料支払債務につき、本件保証金返還債務との間で対当額で相殺した。

(三) したがって、右二ヶ月分の賃料債務については既に消滅しており、被告に支払義務がない。

2  平成一二年四月分及び五月分の賃料について

(一) 破産法一〇三条一項後段は、前段に続いて、「敷金あるときはその後の借賃に付亦同じ」と規定し、宣告後に発生する賃料との相殺の限度をさらに敷金の額まで広げている。

(二) 被告は、前記のとおり平成一二年一月二九日に賃貸人に到達した相殺通知により、平成一二年四月分及び五月分の賃料債務についても、本件保証金返還債務との間で対当額で相殺したものであり、かつ、右二ヶ月分の賃料債務は前記敷金の額の範囲内である。

(三) したがって、右二ヶ月分の賃料債務についても既に消滅しており、被告に支払義務はない。

(抗弁2-敷金返還請求権による相殺)

1  破産法一〇三条一項後段が、敷金以外の破産債権に基づく相殺を認めたものではなく、むしろ、敷金返還請求権そのものに基づく相殺を認めたものであると解される可能性もある。

2  被告は、その場合に備えて、本件口頭弁論期日(平成一二年七月一〇日)において、前記二〇〇〇万円の敷金により、平成一二年四月分及び五月分の賃料債務を対当額で相殺する。

(抗弁3-敷金相当額の寄託請求)

1  破産法一〇〇条は、停止条件付破産債権を自働債権とする相殺について、受働債権の債務者に破産者への寄託請求権を認めている。

2  仮に、抗弁1及び2が認められない場合には、被告は、これから弁済する賃料を原告が前記敷金額に満つるまで寄託することを請求する。

五  原告の反論

1  物上代位権と相殺権の優劣について

抵当権に基づく物上代位権と第三債務者たる賃借人の債務者たる賃貸人に対する別途債権を自働債権とする相殺の優劣関係は、抵当権設定登記の日と相殺の意思表示到達日の先後でその優劣を決すべきである。

本件においては、前記のとおり、根抵当権設定登記日は平成七年四月三日であり、被告による相殺の意思表示の到達日は平成一二年一月二九日であるから、原告の物上代位権が被告による相殺権に優先することになり、相殺による賃料債権の消滅についての被告の主張にはすべて理由がない。

2  平成一二年四月分及び五月分の賃料に関する破産法一〇三条一項後段の適用について

破産法一〇三条一項後段は、敷金返還請求権以外の破産債権による賃料債務の相殺を認めた趣旨ではないので、本件保証金返還請求権を自働債権とする相殺は許されない。

また、同条項は、未だ現実化していない停止条件付敷金返還請求権による相殺を認める趣旨でもないので、敷金返還請求権を自働債権とする相殺も認められない。

3  寄託請求について

本件とは無関係であり無意味である。

六  争点

1  賃借人が賃貸人に対し敷金及び保証金を差し入れている場合、賃貸人が破産宣告を受けた後に、右保証金債権または敷金債権を自働債権、破産宣告後の賃料債権を受働債権として、破産者に対して相殺をすることは許されるか。

2  1の相殺権が認められるとして、建物の抵当権者が右賃料債権を物上代位権の行使により差し押さえてきた場合、賃借人は右相殺をもって抵当権者に対抗することができるか。

第三当裁判所の判断

一  争点1について

1  破産法一〇三条一項前段は、破産債権者が賃借人であるときは、破産宣告時における当期及び時期の賃借料につき、破産債権と相殺できる旨規定している。破産宣告前からの賃貸借に基づく賃料債務については破産債権と相殺できるはずであるが(破産法九九条後段)、これを無制限に許すと破産財団に帰属する賃貸物件の価値代替物たる賃料債権が配当財団を形成しないこととなり、他の破産債権者を害することから、受働債権に供することのできる賃借料の範囲を右のごとく二ヶ月分に限定したものである。

前記認定のとおり、被告はa社から賃料月額一四二万五〇〇〇円で本件建物を賃借し、本件保証金として一億〇七〇〇万円をa社に預託していたところ、平成一二年一月一七日にa社は破産宣告を受けたのであるから、被告は破産会社に対して、破産宣告により期限の利益を喪失した右一億〇七〇〇万円の本件保証金返還請求権を破産債権として取得している。他方、被告は、破産宣告後に破産会社に支払わなければならない最初の賃料である同年一月末日支払期日の同年二月分賃借料及び翌期である同年二月末日支払期日の同年三月分の賃借料合計二八五万円を未払いである。よって、破産会社が被告に対して右二ヶ月分の賃料債権の支払いを求めてきた場合には、被告は破産法一〇三条一項前段の規定により、右破産債権を自働債権、右賃料債権を受働債権として相殺権を行使することができる。

そして、前記認定のとおり、被告は破産会社に対して、本件保証金返還請求権をもって以後発生する賃料債権と弁済期が到来する毎に右債権額に満つるまで対当額で相殺する旨意思表示をしているのであるから、少なくとも右二ヶ月分の賃借料については、破産会社との関係においては相殺により現時点においては消滅しており、破産会社は被告に対してその請求をなし得ないこととなる。

2  また、破産法一〇三条一項後段は、賃借人が敷金を差し入れている場合には、同項前段の時期以降の賃借料についても相殺可能である旨定める。敷金返還請求権自体は、賃借物の明渡しを条件とする停止条件付債権であるから、この場合の自働債権は、同項前段同様、賃借人が敷金返還請求権以外に賃貸人に対して有する無条件の破産債権と解すべきである。かかる場合には、既に破産財団は敷金相当分だけは受益しているのであるから、その範囲であれば相殺を認めても財団形成を阻害する程度が小さいとして、前段の受働債権に供することのできる賃借料の範囲の制限を敷金相当額まで拡張したものである。

前記認定のとおり、被告は破産会社に対して二〇〇〇万円の敷金を差し入れているのであるから、被告は破産会社に対して、1の二ヶ月分を超えて受働債権たる賃料の総額(右二ヶ月分を含む。)が二〇〇〇万円に達するまで、本件保証金返還請求権一億〇七〇〇万円を自働債権として相殺を行うことができると解するのが相当である。

よって、少なくとも破産会社との間においては、前記相殺の意思表示により、原告が本件訴訟において請求する既発生の賃料債権四ヶ月分合計五七〇万円全額につき現時点においては消滅しており、破産会社は被告に対してその請求をなし得ないこととなる。

なお、右で述べた敷金額とは、当該賃借物の敷金額として合理的な範囲内に限定されると解すべきであるが、本件建物は被告がレストランとして使用する事業用物件であることにかんがみるならば、賃料の約一四ヶ月分に相当する本件敷金はその全額につき敷金額として相当な範囲内にあると認められる。

二  争点2について

1  以上は、被告が破産会社に対して相殺を行使する場合の結論であるが、本件においては、破産宣告後に原告が抵当権に基づき破産会社が被告に対して有する本件賃料債権を差し押さえているため、さらに、被告が破産会社に対して主張し得る右相殺権を物上代位権者にも主張し得るかにつき以下検討する。

2  民法五一一条は、差押命令を受けた第三債務者が差押後に取得した債権により差押債権者に対抗することを禁じており、逆に差押前に第三債務者が債務者に対して取得した債権であれば、自働債権及び受働債権の弁済期の前後を問わず、両債権が相殺適状に達しさえすれば、第三債務者は、差押後においてもこれを自働債権として相殺をなすことができる(最高裁昭和四五年六月二四日大法廷判決・民集二四巻六号五八七頁参照)。本件賃料債権が原告により差し押さえられたのは前記認定のとおり平成一二年一月二九日であるのに対し、被告が破産会社に対する本件保証金返還請求権を取得したのは、四回の分割支払いの最終回である平成四年一一月一〇日と認められる(乙二の一ないし四)。右民法五一一条の解釈に基づくならば、被告は差押前に自働債権を取得していることになり、破産会社に対するのと同様に原告に対する関係において相殺権を主張し得るかに思われる。

3  しかし、原告による差押えは単なる一般債権者による差押えではなく、登記された根抵当権の物上代位による差押えであり、右登記の公示力は、目的物件につき所有権や抵当権等の物権を取得しようとする者のみならず、本件被告のように目的物の賃借人として潜在的に賃料債務を物上代位権により差し押さえられる立場に置かれている関係者との間でも尊重されるべきである。とすれば、本件のような抵当権の物上代位による差押えと賃借人の賃貸人に対する反対債権による相殺との優劣は、差押えと反対債権の取得時期の前後ではなく、抵当権の設定登記と反対債権の取得時期の前後により決するのが衡平に適うと言うべきである。実質的に考えても、登記後の取得債権による相殺を認めるならば、賃貸物件であることを認識の上、債務者が債務不履行に陥った場合には競売による売却前に可能な限り賃料の物上代位により被担保債権の回収を図ろうと目論んだ抵当権者の期待を著しく害することとなる。他方、賃借人としては、賃貸人への反対債権を取得する時点で登記を閲覧することにより自らの賃料債務が抵当権者により潜在的に把握されていることを予測することができ、登記後の取得債権による相殺を認めなくても賃借人に不測の損害を被らせることもない。

4  しかしながら、本件においては、前記認定のとおり、原告が本件建物につき根抵当権の登記を経由したのは平成七年四月三日であり、被告がa社に対する本件保証金返還請求権を取得したのはそれ以前の平成四年一一月一〇日であるから、右見解に立ったとしても、被告は本件保証金返還請求権により賃料債務を相殺できる。

三  結論

以上によれば、被告による本件保証金返還請求権による相殺の抗弁には理由があるから、右相殺により原告の本件請求債権は既に消滅しており、原告の請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 住友隆行)

<以下省略>

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